東日本大震災から7年

2018. 03.11

震災前線路跡 叔父住居跡 新しい堤防

昨年は、daysをすっかりお休みしていましたが、色々な所に出掛けていました。ずっと思いのあった、仙台山元町の叔父の所へも行く事が出来、あれから7年、今年80歳になる叔父ですが、車で被災地を廻り貴重な話を聞かせてくれました。

こうした写真では、ただ穏やかな風景に見えてしまいますが、上中央の写真は叔父の家のあった所です、海岸から家までの間には松林が続いていたそうです。左の写真は2016年12月に5年9ヶ月の間、不通となっていた常磐線の相馬~浜吉田間の営業運転が再開され、山下駅は「行くぜ東北」のポスターになっていましたが、震災前はここに駅があり、元の線路は道路となる工事がなされてました。右の写真は、相馬までずっと続くあたらしい防潮堤。どの写真も静かな写真に見えてしまいますが、周りでは、ずっとショベルカーやブルトーザーの音が響き渡り、それは朝から夕方まで、7年間毎日続いてます。瓦礫はすっかりと片付いているので、元の風景を知らない私にとって、ただただ広い平地が広がっているだけ、それは、復興にはまだまだ程遠いという事なのではないかと思えました。

中浜小学校中浜小学校 中浜小学校

中浜小学校、立派な校舎の小学校だったのだろうと思います。屋上で一夜を過ごし全員救助のニュースが、胸の締め付けられる毎日の中でよかったと思えた事を思い出しました。しかし周りの建物はほとんど流されてしまったとの事。この校舎は、震災遺構として整備されるそうです。

石巻駅石巻日和公園 石巻日和公園

ただ、復興途中の被災地を見て廻るだけでは、なんの役にも立ちません。せめて観光費を落とすだけでもと、山下駅に出来たスーパーと石巻でお土産物を買って帰っただけでした。